日頃のドックフードや運動が大切!犬が急に倒れたその時飼い主はどうする?

完全に意識を失うものではなく、めまいに近いレベル、もしくはすぐに立ち上がるようなレベルだと、そのまま様子を見てしまう飼い主がいます。しかしこれは危険です。かならずすぐに最寄りの動物病院にかけつけてください。見ていないところでどれほどの発作があるのかわかりませんし、次の発作が夜中に起きてそのまま死亡する可能性もあります。

何カ月か経って悪化してからようやく来院しても、たいていの場合、発生頻度の増加、発作の長時間化が起きており、治療も出遅れてしまいます。

また、倒れたときの様子をくわしく観察し、メモしておくことも重要です。
「突然倒れた!」というケースで来院する事例は、原因を脳か心臓にもつことが多く、特に「てんかん」の発作が大半です。てんかんは、脳内の電気信号がショートして、意識レベルの低下や全身に力の入ったけいれんなどを起こす病気です。

てんかんが軽度の場合は、数分でなんとなく治まってくるものですが、重度のものは「重積」といって、強力なけいれんが何十分も続き、そのうちみずからの発する熱で過熱死したり、脳に重度の障害を残したりします。とはいえ、いきなり強力なけいれんが発生することはまれで、初期の段階で来院しさえすれば対策できます。古くからよく用いられているのは、精神作用薬による内科的コントロールです。

ほとんどのてんかんは、薬や食事による改善が期待できます。てんかんの発作が始まるきっかけは、まったく理由がわからない場合もあれば、恐怖・興奮・怒りなどの激しい感情、動揺が引き金となり発作につながっている場合もあります。飼い主はふだんから精神的なやすらぎを与えるように心がけてください。
なお、ドックフードの選び方がわかららないという方はこちらを参考にドックフードを選んでみても良いでしょう。
おすすめのドックフードの選び方

自宅で、治まる気配のない本格的なてんかんの発作が起きた場合は、夜でもためらわずに夜間救急病院へ行ってください。体が熱い場合は、脇や内股、お腹などに水をかけて冷却してから出発しましょう。熱射病と同じく、過度の体温上昇は死を招きます。

心臓疾患による発作は、重いとほぼ即死しますが、重度でない場合には、おもに連動や興奮が引き金となって低血圧やめまいを起こし、半分失神したように脱力します。すぐに心拍が戻れば数十秒で立ち上がりますが、

このようなイヌはもともと心機能が低下していることが多く、さらに運動や興奮が加わって限界を超えて倒れるため、起き上がったあとも弱々しい状態が続きます。ふだんの検診で異常が見られた場合や、少しでも発作らしき様子があった場合には、かかりつけの動物病院でよく調べてください。

不妊治療を克服して産んだ子供

今では、生殖医療のコーディネーターという仕事柄、このようなことを告白するのは大変お恥ずかしいのですが、当時は妊娠というのは避妊を止めたらできるもの、くらいにしか思っていなかった私でした。ところが ─ ─、 半年経ってもまったく妊娠の兆しがなかったのです。

こんなはずじゃない、と私は焦りはじめました。

その頃から、急に心配になり、情報を集めようとしたのですが、なかなか思うようにいきません。口に出すにはちょっと恥ずかしいと思っていた話題でしたし、1990年代初めの当時では、今のように「とりあえずインターネットで検索」、などという時代ではありませんから、思うように事実を知ることができず、悶々とした日々を送っていました。

そんなある日、取引先の女性夫婦にベビーが誕生した、という知らせを突然受け、驚いてお祝いに駆けつけました。

どうしてそんなに「驚いた」のかというと、ほんの2週間ほど前に仕事で打ち合わせをしたその彼女のお腹は、まったく大きくなっていなかったどころか、いつものようにビジネススーツをキリッと着こなしていた姿が鮮明に目に浮かんだからなのです。

どう考えても、とても妊娠していたなんて想像もつかないスタイルでしたし、おまけに、当時はまだ公共の建物内で喫煙禁止、というカリフォルニアの州法ができていなかった頃で、ヘビースモーカーだった彼女のデスクの上には、いつも吸殻でいっぱいの灰皿が置かれていたのでした。

だいたい、彼女の多忙な仕事ぶりから見て、「母になろう」という選択肢が彼女自身にあったとは想像もつかなかったのです。

ですから、この「ベビー誕生」というのが、あまりにも唐突なニュースであり、本当に半信半疑で彼女のもとへ駆けつけた、というわけです。 幸福の絶頂という顔で、生まれたばかりの赤ちゃんを腕に抱くその彼女に、「おめでとうございます」

と、お祝いの言葉をつぶやきながら、私の心はただただあらゆる疑問でいっぱいになっていました。 そんな私の心のうちを読み取るかのように、彼女は私に告白しはじめたのです。 「実はね、代理母さんのお蔭で授かった子なのよ、この子は」

およそ半年前に定期検診を受けた産婦人科医に言われた言葉が晴天の霹靂ならば、このときの彼女の言葉は一体私にとってどんなものだったのか、言い表せる言葉もありません。

とにかく一瞬頭が真っ白になってしまいました。そしてその「代理母」という、テレビのニュースでしか聞いたことのなかった言葉を一瞬遅れて咀嚼したあと、直感的に「すごい!」と思ったのです。

そういう決断をする夫婦もすごいけれど、そんなすごいことに協力する代理母の女性も本当にいるなんて!「避妊を止めれば子どもができる」、などというレベルから、一気にまったく別の次元へと私の「子どもを授かるための選択肢」というコンセプトそのものが小宇宙のように広げられたのが、

その日の彼女の「代理母」という告白だったのでした。「この子が無事生まれるまでは代理母出産に挑戦していることは、誰にも話すまいと思っていたのだけれど、今はこの子の誕生の喜びを一人でも多くの人と分かち合いたいの」と話しはじめた彼女のそれまでの苦労はこのようなものでした。

代理母によって子供を授かった方のお話

実は私も、30歳目前で結婚はしたものの、とにかくキャリア志向でした。なによりも好きなのが仕事をすること。仕事にこのうえない生きがいを感じていたのです。

1976年春、米国の建国200周年の年に 16歳で留学のため単身渡米してからの長い米国生活のなかで、女性の自立と自由、そして社会的地位が早くから確立されていたこのアメリカで、自分のキャリアへの志向や夢をもつというのは、しごく当たり前のことと考えていました。

このアメリカでは、独身女性も自分の身体の管理をするために婦人科定期検診を受ける、ということが浸透しているため、仕事の忙しさのなかでも、私もそれだけは欠かさず時間を作って年1回は必ず受けることを自分に義務付けていました。
30代も半ばに近くなったその頃、その年の定期検診で主治医に突然こう言われたのです。「子どもはいつか産もうと思っているの? いつか産みたいと思っているなら、そろそろ考えはじめたほうがいいよ。

35歳からはダウン症児の発症率が急に高くなるし、37歳ぐらいからは妊娠しづらくなっていくよ

正直に申しまして、「ええ~? なにそれ?」というのが私の率直な反応でした。 私にとっては青天の霹靂のような言葉だったのです。その当時は、「漠然といつか」とは思っていたものの、具体的に何歳になったらどうなる、などとは考えたこともなかったのです。

ただ、私の場合、この段階ではまだ「ちょっと心配」になっただけで、具体的な焦りはありませんでした。

それでもやはり、「いつか」を「そろそろ」にしなくては、という気持ちにはなり、そのくせ私がまず考えたことは、自分の身体のことではなく、なんと仕事のことでした。 勤務先の人事体制や医療保険にまずチェックを入れたのです。幸い当時の勤務先が産休や産休明けのキャリア継続についても理解のある企業であったことを確認し、子どもができても仕事を辞めるつもりもないし、辞めなくてもよさそうだし、さあ、これで準備ができた ─ 、 くらいの簡単な気持ちでいたのです。 子どもは望んだらできるものだと思っていたので、託児所やベビーシッターさんの費用などを調べたりして「準備完了」などと甘い考えをもっていたのでした 。